2011年3月29日火曜日

地球は動いている

3月10日、私たち夫婦の結婚記念日。


「いちご大福」と日本酒 私は禁酒(+o+) )でささやかなお祝い。


毎日を当たり前に過ごしてて、「日常は変わらない」と当たり前に思って。




次の日、地球が動くとも知らないで。




3月11日15時前


携帯はマナーモードにしているのにも関わらず、ブザーがなる。


すごい揺れ。


出口確保と思って、職場のドアを開けるが、揺れですぐにドアは閉まってしまう。。


何回か繰り返したけど、閉まってしまうから、途中であきらめた。


机の下で、家族全員の無事をお腹にいる子と一緒に祈りながら、長い長い揺れに怯えていた。


パソコンも、書庫の中も次々に落ちてくる。。。


仕事もワタワタ。とりあえず、この非常事態、一人暮らしのお年寄りの安否確認を必死で行った。




家族とやっと連絡がとれ、皆怪我なく無事でいる事を聞いて、安心した。


心底安心した。


でも、すぐに駆けつけてあげられなくて、ごめん。




結局、真っ暗になってからの帰宅。


何か買えるものがあれば、買っていきたい。コンビニに寄った。


停電で、お店の中は真っ暗。


もちろん、食べ物らしい食べ物は皆無。お菓子と飲み物を買う事にする。




そこに、懐中電灯で私の見ている先の棚を照らしてくれる女の子が☆


「ありがとう。大丈夫だよ」という私に、


「うん。」と言いながら、ずっーと照らし続けてついてきてくれる。


涙が滲んだ。恐怖の涙じゃない。あたたかい涙だったとはっきり覚えている。


張り詰めてた私の心にも灯をくれた、その女の子の優しさが嬉しかった。




遠くから「ななー!」という女性の声。


「はーい!」とその女の子が答える。


「!?」「ななちゃんっていうの?」


「うん。」


「大変だけど、がんばろうね!!ありがとうね!!!」と握手してその子と別れる。


自分だって、怖い経験をして、真っ暗で、不安なはずなのに、




そんな中、まったくの他人に優しくできるなんて。


我が子にもこんなやさしい子になって欲しい。




夜。真っ暗で寒い家の中。ラジオから流れてくるのは、恐ろしくなる情報。



大きな余震の度、寝ている子供を抱き締める。


余震は、夜中15分に1回ぐらいあった様に感じた。




ラジオから「あと○時間したら、明るい日の出がのぼります!明るい明日がやってきます!」のアナウンス。


「そうだ。あと少し我慢したら、また日常にもどるんだ。」と思った。本気でそう思えた。












・・・・でも、2週間たった今でも、地震の影響は大きい。








今回の地震、原発。


大小分からないけど、失ったものもある。


それを、誰かのせいにしちゃいけない。




原発だって、今まで、日本経済と生活を支える、大きな役割を担ってきた。


日本人みんな頼ってきた。


大きな地震、あんなにも高い津波が来るなんて事を想像した造りになってなかった。




地球だって、動いている。


地球も生きているんだから、生きていくために必要な自然現象。


誰かのせいにしちゃいけない。






でも、地球の動きを先読みする技術を人間は手に出来ていなかった事が悔やまれる。


この技術があれば、こんなにも尊い命を落とさずいれたのに・・・・。と、思ってしまう。






家族も、親戚も、友人も、無事暮らしていけてることに感謝。


少しずつ、少しずつ、自分に出来る事をやっていく。


コツコツと。


それが、復興への一歩と信じて。